読書・勉強

「悪魔とのおしゃべり」って本が人生観に影響を与えてくれたので解説するよ

あるYouTubetrが紹介していた「神さまとのおしゃべり」という本の続編である「悪魔とのおしゃべり」。

「神さまとのおしゃべり」も価値観を変えてくれた良い一冊だったけど、この本もなかなかに人生観に影響を与えてくれた。

今回は「悪魔とのおしゃべり」を読んで学んだことを、自分の備忘録として書き連ねていくよ。

「正しさ」の捉え方について

この本は、主人公のみつろうが悪魔と対話する形で話が進んでいく。

そんな本書の冒頭で、悪魔が提言しているのが、

「「正しさ」が世界をダメにしている。」

というもの。

  • 「~してはイケない」
  • 「~すべきだ」

という価値観は、色んなところで歪みを生んでいる。

たとえば「勉強をして良い大学に入らないとダメ」という価値観を持ってるとする。

もし、勉強が好きであればそれほど問題にはならない。

でも、勉強が嫌いでしかも苦手な人であればどうだろう?

  • 勉強はやりたくない
  • でも、勉強をしないとイケない

こんな状態になってしまえば、当然に苦しむことになる。

でも、「勉強をして良い大学に入らないとダメ」って価値観をもってなければどうなるか。

仮に勉強が嫌いでしかも苦手な人でも、

「勉強は得意じゃないしな~」

という一言で終わり。

それ以上に苦しむことはない。

それこそ、サバンナで暮らす人は勉強ができなくても悩まないよね

ちなみに言うと、

  • 「~してはイケない」
  • 「~すべきだ」

という価値観には、長年、僕も苦しんできた。

この点について、僕が最近意識しているのは、

  • 「~になりたい」
  • 「~をしたい」

に軸を置いて行動をすること。

先ほどの勉強を例にすると、

  • 「良い大学に入りたい」
  • 「勉強したい」

といったかんじの、ポジティブな情熱に基づいて行動することが大事かと。

これだと、同じ「大変」でも、心地よい苦しさになる

いずれにせよ、

「苦しさを感じるとき、そこには必ず「正しさ」が存在する」

というのは一つの真実かと思う。

だからこそ、「~すべき」ではなく「~したい」を軸にするのが良いと思うんだ。

「怒り」は「期待」から生まれる

ある日、みつろうは悪魔と一緒に回転寿司を食べに行った。

そこで30分近く待たされたみつろうが怒るのを見た悪魔は、

「人が怒るのは、期待しているから」

だと諭した。

たとえば、Amazonで商品を注文して、

  • 到着まで3日と思ってたら、
  • 実際は10日もかかった

なんて状態だったら、間違いなく怒る。

これは「Amazonは3日で商品を届けてくれる」という期待があったから

でも、そんな期待をしてなかったり、それこそ期待値を下げて、

  • 到着まで1ヶ月と思っていたら、
  • まさか10日で届いた

なんて状態だったら、感謝すら覚えるはず。

何かに怒っているとき、勝手に期待したのは自分なんだよね。

だから、自分が何かに怒っているときは、

「期待値を上げすぎてしまったな。反省しよっと」

と思うことで、怒りは自然と解消されていくと思う。

一方で、誰かが自分に怒っているときは、

「この人、勝手に期待して勝手にキレて、マジ迷惑なんだけど」

くらいに、考えていいかと思う。

自分を犠牲にしてまでやってやったのに」と怒りをまき散らすくらいなら、他人のために何もしないでいいから、ただ微笑んで座っていてくれないか?

人の願いは既に全て叶っている

本書では「人間スーツ論」という話が出てくる。

これは端的に言えば、「今の自分は、自分を体験できるスーツを着ているにすぎない」というもの。

正直、今もあまりピンときてない

でも、その話の中で出てくる、

「人の願いは既に全て叶っている」

という考えは、なぜかストンと納得できたし、今も確信を深めているところ。

いつも「お金持ちになりたい」って考えてるけど、お金持ちになってないよ?

その考え方は、本書の考え方と少しズレている。

その人の願いは、「『お金持ちになりたいなぁ』と考える状態になる」というもの。

なので、もう少し噛み砕いて言うなら、

「『お金持ちになりたいなぁ』と考える状態になる」

という望みが既に叶っていることになる。

大事なのは、既にその望みを叶えている人と同じ考えを持つこと。

そのためには、

  • 「~をできている」
  • 「~し始めている」

と考えること。

「〜し始めてる」の方が信じやすいので、個人的には好き

そして、その望みが叶っている状態を五感を使って具体的にイメージングすること。

人の願いは既に叶っているのだから、いいかんじに自分を勘違いさせていくと、その勘違いのレベルに応じて、少しづつその願望が具現化されていくんだ。

全てがいい日

最後は、みつろう君がブランコを漕いでいる娘を見ながら悪魔と話をするシーン。

前後に揺れるブランコを見ながら、

  • 「悪いこと」が「良いこと」を生み出している
  • 「プラス」だけを貯めることはできない

ということを悪魔が教えてくれた。

これって考えてみると、本当にそのとおりなんだよね。

たとえば、

  • Aさん:3日間、何も食べてこなかった
  • Bさん:先ほどご飯を食べた

という2人がいる。

仮に2人の幸福度を、Aさんは-3、Bさんは+3とする。

でも、この両者がラーメンを食べたらどうだろう。

間違いなくAさんの方がラーメンをうまいと感じるだろうから、

  • Aさん:+5
  • Bさん:+2

くらいの差はあるはず。

こんなふうに、ブランコと同様、マイナスの振れ幅が大きいほど、プラスの振れ幅は大きくなるんだ

だから、一見するとイヤな日も実は「いい日」だったりする

でも、すべての日をむりやり楽しもうとしないことが大事

具体的な例としては、

  • 苦しい日は全力で苦しむ
  • イライラする日は全力でイライラする

こんなかんじ。

イヤな日はそのイヤな感情をしっかり味わうことが、その後の幸せを高めてくれるんだ。

イヤな日も、後から振り返れば「いい日」になるもの

まとめ

今回は「悪魔とのおしゃべり」について、個人的に心に残った箇所をピックアップして解説したよ。

個人的には、前作の「神さまとのおしゃべり」もお気に入りなので、ぜひ本書と併せて読んでみてね。

それでは。